「俺は前からそれが面白いと思っていたんだもんね」

「俺は前からそれが面白いと思っていたんだもんね」 - たまごまごごはん

サブカル文化をこよなく愛するオタクな自分は、あまりメジャーなものを見ないクセがあります。

いや、一応見ます。ハリウッド系映画も見るし、ジャンプも読みます。でも全米が泣いちゃったりするとどうも避けてしまうクセがあるのです。

逆に言うと「ぼくはこんなにマイナーなものを知ってるもんね!」という幼い感情なんです。

あまり有名じゃないものを好んで見たり、インディーズを一つでも多く知ろうと躍起になったりします。

まあこれは意外とお得なことも多く、おかげでステキな掘り出し物に出会う機会が増えるのでトータルではラッキーではあります。

しかし同時に一つ、回避できないワナにはまるのです。それは、そのマイナーな作品が映像化されたりだとか、テレビで取り上げられて一躍有名になったとき。

そりゃもううれしいことこの上ないのですが、自意識過剰がたたって「メジャーだから好きになった人って見られたら悔しい」という得体の知れない思いが押し寄せます。

そして口走るのです。「ずっと前からそれは面白いと思っていたんだけどね!」

この話。ものすごく共感を覚えて「あとで絶対TBしよう。」と心に決めていました。まあ、自分の中にある感情を、グっとアップにして見てみて「ああ、俺ってこんな人間だったのか。」的感慨にふけってみようかなと。

私も結構メジャーど真ん中ではなく、ちょっと裏道を行くような作品を音楽にしろまんがにしろアニメにしろ、好むような気がします。それがなぜそうなるのか?という事だけれども、いくつかの要因がまざりあっていると思う。「こう、だからこう!」みたいな単純な理由には還元できない。そこは人間としての複雑さを人並みに備えているので、まあしょうがない。で、主だったいくつかの理由を明らかにしていこうと思う。

理由の一つとしては、単純に自分が時代に乗れていないというのがあると思う。自分自身の性向がマイナーで、メインの潮流みたいなのに乗れないんだよね。フツウ大人になるとやりそうな必須科目をことごとくパスして来ている。恋愛、ギャンブル、ゴルフ、出世。なんだかどれもピンと来ないんだよなあ。世の中に出てくる多くの音楽、映像作品、小説なんかは、恋愛ものが多いと、マイノリティの僻みの入った目線からは見えるんだけど、なんかさー、そんなに必死になって男女の愛を求めてもしょうがないじゃん?という思いがある。空気公団加藤千晶の音楽が好きなのは、きっとそーゆー主流とは違う、傍流のフィーリングを、うまく表現しているからなんだ。多分。

もう一つの理由としては、「応援欲」とでも言うものかな。「ミニタニマチ」とでも言うか。大メジャーで100万部売って全米が感動!みたいなものは、それこそ単純に消費しておもしろがって捨てればいい。でも、「応援したくなる」作品や表現者(媒体によってミュージシャンとか小説家とかアーティストとか名前が変わってダルいので大雑把に「表現者」と呼ぶ事にする)というのは、もっとお金をもらえてもいいんじゃないか?という疑問を抱かせる。「ここで私がコレを買えば、1円でも2円でも、表現者の利益になる。それなら使った金も活きるじゃないか。」という気持ちになる。「金」とか言うとちょっと生臭い匂いもするけど、でも、ぶっちゃけお金はあったほうがいいし、最低限それで食える事は、次の作品を生む力になる。コレは別に「表現」という事でなくてもいい。工業製品であっても、応援したい企業の製品を買うし、嫌いな企業の製品は避けて通るようなバイアスが、普段の生活にもかかっている。消費を通じて、何かにコミットしていくことができればいいなあという、そんな気持ち。

そんな気持ちを抱きながら、応援してきた表現者や作品が、ばーんとメジャーになったとき、「ずっと前からそれは面白いと思っていたんだけどね!」と、口走りはしないまでも、心の中に浮かんでしまう。そこには表現者との距離が開いてしまった寂しさがあるからだと思う。すごくわかりやすい実例だけども、年に何回か加藤千晶さんのライブを聴きに行っている。吉祥寺の小さなライブハウスで、いつも座る席はステージから3mぐらいしか離れていない。その距離間でばーんと7人編成とかでブチかまされて、みんなで手拍子しながら合いの手いれたりしたら、もうものすごく楽しくてたまらない。演奏終了後に帰ろうとしたら、川口義之さんや関島岳郎さんと出口付近でフツウにすれ違ったりして、ちょっとドキドキしたりするw その身近に感じられる距離がすごーく遠くなってしまったら、それはとても悲しい事だ。

メジャーになる、ということは、ほぼ商業的成功と等しくて、「それで飯が食える」という望んでいた状況なんだけど、距離間が開いてしまうのはイヤだ。なんというか、我ながらものすごく身勝手な独占欲だなw

とはいえ、やっぱりメジャーになることには抵抗のあるのはどうにもおさえきれない不思議な感情。もしかしたらエゴというよりは、閉じた狭い世界の居心地のよさが開けてしまうことの寂しさなのかもしれません。

「身勝手な独占欲」を丁寧に言い換えるとこんな表現になるのかな。私は自分の中のダメなところは「ああもうホントダメだなオイw>俺」と自嘲的に見ちゃうタイプなので赤裸々な表現になっちゃったけど、結局はオタクって多かれ少なかれこんな感情があるんだなーと思いました。なんだろ、「ああ俺だけじゃなかった」的な安心感ありましたよ。