なぜ本を読むんだろう?

本を読む理由は何か - 萌え理論ブログ
最初に読んだのはここ。で、

けど、本を読まない人間にいくつか反論されて、言い返せなかった。
いわく、「そんな本読んでなんの役に立つの?」

ここが気になって元記事に飛ぶ。
本を読まない人間
上の引用の前には、もうちょっと長めの文がくっついていた。

本を読まない人間を軽蔑していた。
こいつまったく勉強する気がないな、と。
私自身、月に20??30冊は読む。
けど、本を読まない人間にいくつか反論されて、言い返せなかった。
いわく、「そんな本読んでなんの役に立つの?」
確かに読んでも役に立たない本も多い。そんなにバリバリ読む必要はないのではないかと思う。
いわく、「勉強してる気分になりたいだけなんじゃないの?」
読みたいから読んでいるんだが、なぜ読んでいるかと聞かれると、読んでないことが不安だから、勉強し続けてないと不安だから、というのもあるように思う。

なんか、勉強ってことに縛られていて不自由な印象を持った。本を読むのは読みたいからだし、勉強するのは勉強がしたいから。働くのは働きたいからだ。単純に、そう思う。
で、本を読む→勉強と関連付けているけど、関連づかない読書だっていっぱいある。ものすごく広い意味では世の中のすべてが勉強なんだけど、まあ、それだと話が拡散して終わってしまうので、もっと狭義な、「目先の問題を解決する手段を見つける、身につける行為」としようか。10ある読書の時間のうち100%これって人はまずいないよなw 読むことそのものが娯楽になっている。それだって読書だ。

若いからなんだろうけど、読書(→勉強)を通じて「私はがんばっている、勉強しない人とは違う」みたいな気持ちになっているのかな。悪いとは思わないけど、面白い生き方にはつながって行かないと思う。でも、読書を通じて得たものが、本人をこれから変えていくこともあるだろう。もっと面白い生き方や考え方に気づいて欲しいと思う。

いわく、「実体験から積み上げたものじゃないと信用できないよ」

実体験から積み上げたものしか信用しない人生は、きっとすごく貧しいものになるだろう。人がその一生を通じて、メディアを通じて伝えられる情報なしに、どこまでの楽しさに触れられるだろう? 自分自身の体験の意味も、相対でしか感じることができないのが我々憐れな人間なんだから、多くの何かを肥やしとして知っている事は、人生を面白いと感じさせる事につながるハズだ。
もちろん、情報リテラシは必要だし、本に書いてあることのすべてが本当の事でもない。Truthどころか、Factでさえない本もたんまりある。そこについて「信用できない」という警句は意味があるけど、実体験以外の全てにその考えを適用するのはやりすぎだ。

ついでに言うと「実体験」でさえ疑う必要がある(≠信用できない)と私は思う。主観が必ず介在するし、観測方法が間違っているかもしれないし、観たものは100万に一つの偶然だった可能性がある。その自分の実体験を、読書を通じて得た知識に照らして、「これはどーゆーことだったんだろう?」と考えることができれば、それが生きた勉強ってヤツだろう。

読む冊数、減らそうかな・・・。
本を読みすぎること自体、自分で考えることを放棄しているんじゃないかと自問することもしばしばだし。

自分で考えるための足場を組んでいる、と考えればいいんじゃないの? 本を読む量を減らすなら、実体験の量を増やしていろんな事を考えれば、いろいろ面白くなってくるんじゃない?