「昔 父は日本人を殺した」

見た。沖縄戦の話。色々と思うところはあったのだけど、良くも悪くも、アメリカという国は若く、すごくこう、ネイキッドな正義感を振りかざす国民の国なんだと思った(いや、もちろん政府は損得勘定もきっちりしてるハズだけども)。どんな戦争もひどい犠牲者を最高の効率で量産する工場として機能しているんだろうけど、アメリカ兵は日本を憎んでいたようには思えない。戦いのなかで、精神が消耗して神経が麻痺していくということはあったとしても、心のそこから憎むということは、きっと多くの兵士にはなかった感情だと思う。それはきっと、イラクでも、アフガニスタンでも同じだったろう。

なんでこんな事を書くのかというと、一方で、どうしようもない憎しみをぶつけあって殺し合いをしている人たちもいるからだ。バルカン半島や、アフリカの一部の地域で。それを思うと、アメリカの兵士たちは、アメリカの国民は、どんだけウブで優しい人たちなのだろうと思ってしまう。その、良さというのは、「民族の歴史」というものから200年ばかり前に解き放たれた事から生じているのだと思う。究極の過去の清算だ。

一方で「民族の歴史」という呪縛から、全く逃れられない、逃れようとしない人たちもいる。ユダヤの人々。シオニズム。二千年前の約束手形を執行する人たち。

何が正しくて、何が間違っているのか。絶対評価は難しい。人の数だけ違う正義がある。その中で、その時その時の最善を、その時に判断しないといけない。その時判断を下した人にとって不本意なのは、後出しじゃんけんのように、後世の第三者の価値観で断罪される事だろう。必要なのは、きっと理解だ。その時、なぜ、そうしたのか。その判断や行動には理由があったはずだ。それを理解しようとする姿勢が、きっと、ちょっとだけマシな世界に連れて行ってくれると思う。

とか思いました!