AKB48の商法というのは、どうなのか?

ちょっと、twitterみていて、こんなニュースを知った。
【AKB48】 ゲームの特典生写真 なんと144種類!たった15万円デス 2ch 痛いニュース速報まとめブログ・ポチョムキン通信.jp

限定セットには10枚生写真が入っているが、最低でもそのセットを15セット買わないと、完全にそろえることができない。メーカー希望小売価格が1万479円であるため、15セットだと合計15万7185円になるというとんでもないニュースに、2ちゃんねるでは

「ゲームで15セットとかアホすぎるだろw」
「無茶苦茶やがな」
「ここまでくると笑うしかない」
「おまけ商法は昔からあるけど、露骨にやりすぎだろ」

と驚がくし、あきれ返る人が多数。

このニュースに言及するtweetが気になって、どうしてコレがそんなにダメなのかをちょっと考えてみた。

感覚的なアレで申し訳ないんだけども、これはきっと企業が社会に存在してもいい理由が、この商行為に見出せないからだ。企業の目的のひとつとして、最大利益の追求があるのはもちろんOKなんだけど、それしか目的がないとしたら、それはダメだ。企業は顧客と社会に存在を認めてもらって初めて存在を許される。そうでない企業は、いずれ顧客と社会から見捨てられて終わるんです。企業が得た利益に見合った価値が、顧客と社会にもたらされないといけないわけだけど、そのあり方はいろいろある。社員の福利厚生を厚くするとか、雇用を増やして地域社会に貢献するとか。そのサービスでみんなの生活が少し楽になったり、ハッピーになるとか。そーゆー人の社会に奉仕する側面が企業理念としてなくて、ただお金儲けだけしている会社なんて、みんなにとって必要ない。

今回のこのAKB48のゲームだけど、15万円の価値がそこにあるのか?という点に疑問符がつく。きっと熱心なファンにとっては15万円の価値がある。そこはプライスレスといってもいい。でも、その製造原価を考えるとファンが得た物とこれを売り出した企業グループが得た利益が、あまりにもアンバランスだと思うわけです、フツーに考えて。きっとこのゲームを売る人たちは、「AKB48という新しい価値を提供した」とか言うんだろうけど、単純にファンから価値判断の能力を奪っただけじゃないか。自分たちに都合のいい人たちを作って、そこからお金を集める仕組みを作る。ただの集金システムです。そこに理念は感じられない。

昔、「虚業って何だろう?」って考えた事があったけど、虚業の条件に当てはまるなw
CSRなんて語をよく聞きますが - おろかな日々

一方で、これはよいなと思えるミュージシャンやゲーム制作会社、映画製作会社もある。そーゆー、目に見えない(いや、映画は目にみえるけどもw)価値を、きちんと価値と認められるかどうかは、そこに「感動」があるかどうかだと思う。その感動は、せいぜい\2K〜\5K程度で手に入れられるということを考えると、AKB48のゲームでコンプが15万円というのはどうなのかな?と思っちゃうね、やっぱりw

なんかまあ、散漫な事適当に書いちゃったけど、まあいいかw 送信w