戦争について

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とても重い話。人間はほとんどの時代を通じて殺し合いをしてきた。今も殺し合いをあちこちでやっている。そしてその辛さを知ってきた。もう自分が死ぬしかないと絶望してしまうまで。
それを乗り越えるために神様に赦してもらう仕組みを作った。これを赦せるのは同じ人間ではありえない。人間を超越した何か尊いモノに赦してもらえば、自分はまだ生きていていいのかもしれない。信仰の根っこというのはそんなところにきっとある。罪の深さを認めた上で、赦しを求め、与える。ああ、なんかきっと、そーゆー事なんだ。
ちょっと追記。赦しが与えられるのが神様しかいないなら、赦されることが出来るのは、赦されるべき罪を背負った人なのかもな。

またちょっと追記。信仰というものについて、何か考えるなら、それが人の心を救済できるか?という観点の議論なら、意味があると思う。でも、一方で創造論で戦う人たちなんてのもいる。なんというか創造論ががんばっていろいろやってるアメリカって国は、やっぱ平和なんだなと思ってしまった。人の生き死にの問題に比べたら、なんと薄っぺらい議論だろうか。