カイバ感想−心と体について思ったこと

うーん。書き始めてみたものの、ものすごく感想を書くのが難しいなあと、ちょっとひるんでしまう。そんなお話でした。一口に言うと「記憶」をテーマにいろいろな事を考えさせる作品で、大人が見ることを前提にして作られている。絵だけをみるとそれこそアンパンマンみたいなシンプルな線で構成された「かわいい」キャラクターが登場するんで、ちょっと油断してしまう。けど、WOWOWの深夜0:00からっていう、アニメとしてはかなり特殊な枠で放送されたって事がその内容をほのめかしてもいるし、観た後だとその枠でないと難しいかもなと思う。何の話をしているかというと、セックスに係るシーンの多い作品だったなとw 第2話なんてちょっとボリューム絞らないとマズイ所もあったしねw ふむ、まずはとっかかりとして、なんでそーゆー表現を織り込んできたのか?という所から書き始めてみよう。

この作品は男女の色事に限らず、体の欲求に係る描写が、俯瞰で見るとちょっと多い。食事、飲酒、排泄、睡眠。中でも性に係るものは大切な欲求の一つだ。そーゆーものすごく基本的な体の欲求があって、心(「記憶」とは別のもの)はソレと深く結び付いている。第6話でクロニコとゲルが体を寄せ合った時、ゲルはそれを「体が違うと何をしたいのか自分でもわからなくなる」と言った。「自分の体から湧き上がるものが自分の本当の気持ちなのかわからない」とも。心は自主的に自分の行動を決定する、自分自身の主人のように思われがちだけど、案外体の影響が大きいぜ?というか、どれほど体の干渉を受けているか自分でもわかっていないよ?ってことを言いたいんだと思う。きっと、体と心は不可分なんだ。それを印象付ける為の肉体感覚の代表として、セックスを選んできたと。それは、野心的というか実験的な試みで、私なんかは面白がって見れたんだけど、ちょっと人を選ぶかもしれないなー。

この話は肉体と記憶が分離できる世界の話だ。体の乗り換えは自由自在で、それはお金持ちの特権になってる。ソレは一見すばらしい事に思えるけど、自分が自分である為には、自分を構成する体が必要だ。体を乗り換えたとき、その時の自分は、本当に自分と言えるのか?という疑問がある。難しい問だけど、端的に言えば、体が変わってしまったら、もはやそれは元の自分ではありえない。なぜなら、自分を構成しているのは心と体の相互作用だから。体が変わってしまえば、心との組み合わせで生じる自分自身は変化せざるをえない。

こんな話は完全なファンタジー、ただの絵空事で実際の世界には何のかかわりもないようにパッと見では思えるけど、既に現実の世界はその領域に片足を突っ込んでいる。脳死と生命の解釈。他人からの臓器の移植。人工的な授精。失った器官の機械による代替。自己の細胞を使った器官の再生。遺伝子の選択。人は既に自分自身を作り変えられるようになっている。今はまだ、失ってしまったQoLを補う救済の為の技術だ。とても高価だし、簡単には成功しない。でも、これからはわからない。近い未来の具体的な可能性を見せてくれたのが攻殻機動隊だった。絵だけをみるとカイバとは何の接点もない作品だけど、そこで問われている事はものすごく近しい。そーゆー、まだ誰も明確な答えを出せないでいるような、難しい事を問う作品だった。

今にして思うと、アレは「ここから先、お子様はダメよ。」というフィルターだったのかもなw

さて、ひとまずはここまで。また違う観点で、別途書いてみる予定。