14年ぶりに「まつりばやし」を観る

このあいだ買った3丁目のタマのDVD、当然の事ながら全話収録されてます。6巻セットの最終巻はブルが主役*1 *2だったり、3丁目フレンズがちょっと通常では考えられない行動をとる回*3がはいっていたり、ものすごく狂った内容w が、その中でも特別なのが「まつりばやし」で。このDVDの中でも一番印象深い作品なので、ちょっと触れておこうかなと。14年も前だけど、児童向けの30分番組1パート実質10分の作品で、これだけ濃く鮮明に死を描いた作品はそうそうないと思う。たった10分だけど「火垂るの墓」に匹敵する破壊力があった。

この話の主役になったのはノラ猫のノラ。さっくりかいつまんで説明すると、ノラが過去に出会った死と、新たに出会ってしまったもう一つの死。この二つの死を並べて見せて、ラストでは彼が幼すぎて理解できなかった最初に出会った死の意味を、今出会ってしまったもう一つの死とあわせて受け止めてガックリ、というお話し。まー、なんというか「ひどい話」だ。なんでコレを児童向けとしてやるかなー?という疑問・批判は、当時Niftyのアニメフォーラム(FANIMEだっけか?)でも盛り上がったなー。


で、やっぱりこれだけ印象に残る作品になったのは、見せ方のうまさがあってこそ。特にノラの飼い主だった女性の死に方は猟奇的な雰囲気さえある。ちょっとおしっこちびりそうな。

この虚ろな目が・・・ これに風鈴の音がちりーんと。で、この場面、ノラがまだ子猫だった時の事件で、この時の事件の映像を、要所要所で織り交ぜつつ、今の時間軸の死の物語が進行する。今の時間軸では、名もない少年が一匹だけ、病気の子猫を神社に捨てていく。ソレを3丁目フレンズ、というよりもノラがケアする。

ノラは自分自身が看取った女性に、同じように暖めてもらって命を繋いだ。自分は助かった。なのにその人は「動かなくなって」しまった。

ツメで傷をつけて、血を流しても動かない。そうやって「ああ、動かないな」という事を確認する幼さ。その場面で彼の感情が動かないのもまた、幼さゆえ。そーゆー、幼ノラの死の認識の描き方がうまいんだけど、でもここまでやるか?という疑問を抱かせたシーンだと思う。やはり、遺体に傷を付けるという行為は嫌悪感を催させると思う。一般的に。

そして時間軸がまた今に戻ってくる。で、

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ここでノラが、「あの時と、同じだ」って台詞の後、だーっと声も無く涙をダダ漏れにするんだ。目の前の子猫の死と、飼い主だった女性の死と、二つの意味が繋がってしまう。そして、目の前の子猫は、死んでしまった女性に救われた自分自身のもう一つの姿でもあるんだ。その彼の心中を、察してしまうともう、こっちもたまらない;; 二つの時系列と三つの命が重なって、それで残る自分自身の命と二つの死。生きることの意味はそれぞれだけど、死と対比することで、命の存在ってものを表現していたんだと思う。作品としてはここで終わりで、ただぽーんと、2つの死を並べて見せただけみたいなもんだ。「そんなのただ悲しいだけじゃないか!」という感想もあるけど、それを感じさせる事と、生きる事の意味を考えるきっかけになれば、すごくソレは意義のあることだと思う。

まー、でも、これを見て何かを感じちゃった子のケアに、日曜日午前11:30*4のお茶の間は、大変な事になったりしたのかなw 当時、人の親としてみていた人の意見や感想をきく機会がなかったので、それを知る事はできないのが残念。やっぱり、「親」になってしまうとこーゆーものの見方が変わるんだろうな。最近、id:makaronisanの日記で、そーゆー「親御さん」から寄せられた感想が載っていて、ちょっとそんな事を思いました。

んー、やっぱり、一度きりの人生、「親」というものになってみるのも、面白いかな。

*1:浪花節だよブル人生

*2:イカスぜ!ブル仮面

*3:はっきりしてよ!タマ

*4:放映当時の時間帯。土曜日遊びまくって、寝不足で、のそのそ起きだすいい時間にやってましたw