TVアニメ製作におけるプロジェクトマネジメント

電脳コイルを最後まで観て、いい作品だったなーと思ったわけだけど、最初から最後まで大きな品質上の破綻もなく最後まで走れたから、そう感じるんだと思う。なんだろ、どうしてもエヴァを思い出してしまうんだけど、最後グダグダになっちゃう作品が多いように思うんだよね。それは最初の方の品質がすばらしいから、どうしても最後と比較した時にがっかり度が高いという事が、そーゆー「最後がグダグダ」と感じる理由なんだと思う。それは、品質確保の為の技術が未成熟という事なんではないかなと。このあたり、ソフトウェアの開発プロジェクトなんかにも通じる話のように思う。

最初にがんばっちゃって「おおスゲー」みたいなものになっても、最後まで同じ品質を確保できないなら、それは開発用の資源配分の失敗でしかない。究極的には金と時間。人のアサイン可否の運不運なんてのもある。ある特定の人物(会社、でもいい)の技術に依存しているプロジェクトは、その人がヨソに行っちゃったらダメになっちゃう。プロジェクトがうまく回らなくなって、期間を延ばしてケアすることになったとき、大抵そこまで人の時間を拘束する事ができなくて、当初の予定のままサヨウナラか掛け持ちという事になって、当然実際の生産量が複数の作品に分散して薄まったりして、それが品質にハネちゃったりする。

勝手な想像だけど、電脳コイルの場合、表現の品質を絶対確保しないといけない回から先に作り始めたんじゃないだろうか。全体として(少なくとも、大切な場面では)作画・動画が破綻していない事とか、主題歌の発注にあたって、本編の試写を行うとか、全体の作業工程を放映の時系列のままべったり貼り付けるんじゃなく、うまく全体を俯瞰して、リソースを投下するべき所とタイミングをうまく調整できているんじゃないかなと。

まんなかぐらいにアキラくんの「いきものの記録」が入っていたけど、あそこがリソース調整の部分だったんだと思う*1。制作実費(AC)と出来高(EV)の乖離が大きくなってきて、完成予想期間の遅延量が閾値(多分1話分の制作期間)を超えた時点で判定会議があって、「しょーがないから1話ぶっ潰してそれまでの切り貼りで復習の回にするぜ!」という判断があったのかなと。最後が駆け足気味だったのは、これが挿入されたから(リソースが無くなったから)、なんじゃないかなー。ま、妄想ですが。

もちろん、NHKがお金を出しているので、比較的恵まれた条件で製作ができたってのも、よかったと思う。こーゆー成功事例をうまくみんなでマネして、業界全体として品質の底上げがされると、うれしいなーと思います。こーゆープロジェクト管理みたいな仕事って、どーゆー人がやるんだろ。プロデューサー?

ちょっと追記。TVアニメ独特の事情として、民放なんかだと好評だとそのまま延長なんてシステムがあって、だから時系列に沿って製作せざるを得ないのかなと。そーゆー方式にあわせた製作体制をうまく整えているのが東映プリキュアとかさ)とか大手の会社で、話数も予算も固定で、その枠の中でやるのが得意な所がProduction I.G攻殻とか)やGONZO(岩窟王とか)なのかな。

*1:もちろん総復習の回も。