なんというか

電脳コイルがらみでちょっと、「リアルと仮想の違いなんて、当事者の心の動きという観点から、違いなんてない」という主旨のことを書いたけども、これはそのまま創作VS実話という風にも置き換えられる。
むかーしむかしのまんがで中田あき(漢字忘れた;;)のももいろ日記なんかでも書かれていたことだけどもこんなのがあった。

エイリアンは怖くない。うその話だから。
お岩さんは怖い。本当の話だから。

本編では「創作の価値って何?」という話になって、それはそれで重要な問題提起だ。で、受け手から見ると、リアルと仮想という話になる。創作(≒うその話)と実話という違いが、受け手の心の動きに何か関係があるんだろうか? それはやはり、受け手次第でしかないんだと思う。誤解・誤読は受け手の権利で、どのような解釈もありうる。その解釈の自由を縛ることなんてできないじゃないか。解釈をめぐっての侃々諤々はあるにしろ、「おまえがそう感じたのは否定できないぜ」というのはもう、しょうがない*1

ヤサコのいじめた・いじめられたという話もそうなんだ。お互いに感じ方がちがっていて、齟齬が生じる。その不幸な出会いは、やむをえないとしかいい得ない。でもそこでただあきらめるだけじゃなく、誤解を解くための努力を尽くすべきじゃないか。今できる事をやれるだけやる。でも、出てきた結果は甘んじて受け入れざるを得ない。こーゆー割りきりがやっとできるようになった*2今日この頃ですよ。

ちょい加筆。このエントリを書き始めた当初は、「創作物(≒うその話)で生じた感動はホンモノだという論と、仮想の世界(≒めがねの世界)で生じた感動という関係もそのまま成り立つじゃん」という話を書くはずだったが着地点がずれてしまったw

*1:もちろんそれに続く「でも俺はそうは思わない」も否定できない。

*2:主に仕事方面で。む、これは役務と受託という話にも通じるのかも知れない。